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春のポカポカ陽気。 高田さん、田中さんと私の三人がドライブがてら朝8時出発。
明石大橋、淡路島を通り抜け鳴門大橋。
渦潮をながめ徳島自動車道、松山自動車道を突っ走る。
石鎚山サービスエリアで休憩。
ここら辺はみかん類の産地。 出店に山積みされビニール1袋200円。
良く見ると小さかったり形がいがんだり、
硬かったり軟らかかったり、傷があったり色もくすんでる箇所がある。
買おうかどうか思案をしてたんだが、詰め放題の看板が目に入り迷い無く飛びついた。
詰め込むは詰め込むは変形してもお構いなし。あふれかえる袋を抱えて大満足。
歳をとるたんびに体裁をかまわず がめつくなっていく のが全く分からないのだ。
車内で一つまみ。これが美味いがな。
帰りにまた寄ろっと喋りながら全部高田さんの運転で昼過ぎ会場に到着。
松村さんは前日から準備万端で我々の到着を心配しながら待っていた。
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到着すると向こうのほうからふらりふらりとよたよたしながら顔見知りのおっさんが手を振っている。
東京から飛行機で飛んできた私と同年でルネッサンス・東伏見の舩野哲夫さんだ。
400m自由形を5:43.62ですでに泳ぎ次は200m個人メドレーに出場するという。
頼むから3分9秒は切るなよ! っと 忠告してあげた。 3分9秒とは昨年の私のタイムだ。
その時がやってきた。飛ばせよ、飛ばすなよっ て 大声援を送り続けた。
結果は3:10.80で平凡なタイム。
どないしたんや? と たずねたら 泳ぎながら櫻井さんの言いつけを守らねば
と 気になってしょうがなく泳ぐどころではなかったらしい。
持つべき友はこういうやつだ。 後で二人は大笑いしながらまたの対決を楽しみに分かれた。
中長距離のトップスイマーが二人来ていた。 神戸代表でS・パティオの猪熊さんと岡村さんだ。
二人とも65歳区分に上がってしまい400m自由形をワン・ツーフィニッシュで他を圧倒。
ちなみに今日は神戸会場のS・パティオでも短水路大会が開催されている。
でも、400mが泳ぎたく泳ぎやすいここに来たという。列車から桜を眺めながらの旅行気分で。
関西圏から姿を消したバッタのスペシャリストが田舎のココへ帰って活躍していた。
中村 建一(65歳区分)さんだ。
50mバタフライを33.77で征したがタイムに満足せずキックの練習に熱を入れ込む。
どうも尼崎には帰ってくる予定は無いようで以前に練習していた
コナミ西宮のチームから最高級品のスイムパンツを記念にいただき嬉しそうに私に見せてくれた。
大阪の長水路大会には出場するらしいので待っています。
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1泳:高田勝三、2泳:田中美咲、3泳:櫻井光昭、4泳:松村和香子。
昨年までの日本記録を普通に泳げば更新できると愛媛遠征を決意し猛練習に耐え
スイスイスーイ。 44秒22も更新したのに3位とは。
二位の愛媛マスターには3秒31と接戦をくりひろげたのだが、一位の広島イルカにはぼろ負け。
若さとスピードでぐいぐい引っ張る河野香里(35歳区分)さん。
私と同じようなタイムで泳ぎきったイルカの設立に尽力された松本純江(60歳区分)さん。
何といっても功労者は服部彊敬(70歳区分)さんと多賀徹(70歳区分)さんだ。
お二人とも4,5日ほど前にギックリゴシで動けなかったらしい。
更衣室ではコルセットをされていた。
しかし、今日泳げなければ若い子に叱られると治療に専念し何とか間に合い力泳。
ほっとされたのでしょう。柔和な笑顔で我々が神戸に帰るのを見送ってくださった。
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レースが終了し表彰式。一人ひとりが表彰状を受け取る。
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4人はもうレースのことなんかすっかり忘れ温泉へ行くのだと頭がいっぱい。
その前に腹が減ってぺこぺこ。
ココは讃岐ではないがうどんを食べよう。 ところがなかなかうどん屋が無い。
やっと105円の看板が目に入る。しょっちゅう食べているうどん屋の看板と金額が同じだ。
ほっとして車を駐車場へ。 ところが良く見ると回転すし屋。
あかん。うどんが益々食いたくなる。
また走り出すが見当たらずとうとう道後温泉に来てしまった。
もう歩いて探すしかない。 車を駐車場に止めた。 しかし、そう簡単には見つからない。
歩いて歩いて歩きまくる。 しんどいな〜。 ところが女性陣はうどん屋を求めて元気いっぱい。
歩くスピードはレースよりはるかに速い。 後ろをよたよたとついて行く私と高田さん。
やっとこさたどり着き満腹。 何うどんを食ったのか忘れたが四国のうどんだった。 と 思う。
次は風呂や。 5分ほど入った。 熱い熱い。 もうええな と高田さんと私。
女性陣はゆったりと肩までつかってリラックスしてきた。
帰路に着いたのは9時を過ぎていた。
行きしによったPAでみかんを買おうと寄ったがすでに閉まっている。
これが一番心残りに
一路神戸へ、明石海峡手前のPAで夜食を食らい帰ってきたのは夜中の1時を過ぎていた。
全工程の運転手は高田さん一人でやってのけた。 お疲れさーん。
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