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権兵衛の北海道紀行

2005年7月7日〜18日


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フェリーでの旅
 7月7日、愛車ランクルに水泳仲間が待つ土産物をゲットするための様々な道具を積み込み、いざ出発だ。  仲間からはお土産に、カニ、ウニ、イクラ、鮭の燻製、鹿の肉、熊の右手など、様々な希望、要望を聞かされ、 プレッシャーを感じての旅立ちであった。

         


 舞鶴港午前1時発のフェリー“はまなす”に乗船、一路北海道小樽港を目指す。
 フェリーは、定員820名、全長224メートル、総トン数16800トン、航海速力30ノットの豪華高速艇だ。

 昨年までは舞鶴から小樽まで30時間を要した航海が、今や20時間に短縮されている。 運賃は、2等が8200円、2等寝台が10700円、おすすめはS寝台で12400円だ。
 もしアベックで行くなら、1等14900円がおすすめだ。ホテル並みの二人部屋が与えられる。 その他に車代がおよそ片道3万円かかる。

 船内はホテル並みの豪華さで、サウナ付の浴場では大きな窓から海を眺めながらゆったりと入浴できる。 浴場は午前8時から午後5時まで入浴可能だが、空いているのは午前10時から午後3時までの間だ。 その他、コインランドリーや給湯器室などがある。

 また、大道芸人のショウや映画も無料で鑑賞できる。 映画は、行きは“クイール”を見た。これは盲導犬の一生を克明に描いた感動の物語であった。 帰りは“ハレーポッタイとアズサガンの囚人”を見た。 これは欧米では、空前の大ヒットとなった作品である。 その内容は、ほとんど寝ていたので知らない。

 だが、船内の食事はお世辞にも美味いとはいえない。高くてまずいのだ。 旅なれた人は、色々なものを予め買って持ち込んでいた。

 最初の朝、目が覚めると、船がちょうど新潟県の佐渡ヶ島沖を通るところだった。 この旅のために買った双眼鏡でよく見ると、曽我ひとみさんが手を振ってくれ、 夫のジェンキンスはさすが元アメリカ人、足を振ってくれた。様な気がした。


心のご馳走
 フェリーは午後9時に小樽港に着いた。その日は小樽で一泊し、 あくる日は釧路を目指して朝早く出発した。
 釧路湿原の観察には三日間を予定しているが、出来るだけ早く着いてじっくりと観察したかった。 同じペンションで3連泊の予定だ。

         

    
   平然と道路を横断するキタキツネ


 北海道の道路は、高速道は勿論のこと、一般道でもとても広くて空いている。 直線道路が多く、信号が殆どないので、制限時速は50kmだが、殆どの人が70から80kmの速度で走っていた。 北海道は本土に比べ、車の平均速度が10kmは速いそうだ。 今以上の高速道は全く必要ないと思った。




 さすが観光の町北海道、車の休憩場所とトイレは数多くあり、また綺麗だった。
 釧路のペンションでの3日間、宿泊客は私一人だけで、美人のおかみさんと朝夕の食事時に、 二人だけで長話しをして過ごした。

 おかみさんは、家庭の事情で自分の家に住めない子や、何らかの障害を持つ子などを家に住まわせ育てている。 その中の一人に、引きこもりの女の子がいて、この子は放って置いたら、 2日でも3日でも布団から出てこないそうだ。

 おかみさんが彼女と話をすると、 ウサギが好きだと言う。  そこで、ウサギの世話を自分ですることを条件に、女の子とウサギを買いにいった。
 そして、家の庭にウサギ小屋を作り、その子に世話をさせたところ、好きなウサギに会うために、 ウサギに餌をやるために、毎日朝、決まった時間に起きるようになり、ウサギ小屋の有るところ、 即ち家の外にも出るようになった。 ウサギと言う動物の癒し効果などもあり、引きこもりの症状が今ではかなり改善しているそうだ。

 その他にも、ボランティアで色々なことをしている話を聞いて、感銘を受けた。 いい話を一杯聞いたので、心がすがすがしくなり、充実した一時を送った。
 まさに心のご馳走をいただいた気分だった。


熊との遭遇、危機一髪
  これは私が命を掛けた、熊との壮絶な戦いの記録である。 それ故、酒を飲みながらとか、ポテトチップを摘みながら読み進めるのは、今回はご遠慮願いたい。

 それは、羅臼湖に一人登山した時のことである。  羅臼湖は、動植物の学術的な研究がまだ十分になされておらず、 入山はガイドなしではし難いような状況にしてあるところだ。

         

 そのため、登山者はほとんどおらず、私が一人で登ったときも、誰にも会わなかった。 それだけ、熊と遭遇する可能性が高いところだ。

 ご存知のように、熊は時速40kmのスピードで走ることが出来、水泳も上手く、 体重200kgぐらいまでは、木登りも上手いのだ。 大きいものは体重500kgを超えるものもおり、戦えば人間などひとたまりもないであろう。
 ときには熊笹をかき分け、ときには潅木の枝をかき分けて進むが、前がよく見えないため、 いつ熊と遭遇するか分からない。
 登山の途中で、今自分は無謀なことをしているなと思いながらも、引き返すこともなく、 頂上付近にある羅臼湖を目指して進んだ。

 雪渓の溶けた水と柔らかい粘土質の土で、泥まみれになりながら進むと、 美しい湖が次から次へと現れ、最終目標である羅臼湖に到達したときには、天国にたどり着いたような気分だった。  身の危険を押して、誰も登らないところまでたどり着いた喜びと、満足感にしばし浸った。
 しかしあまり長時間の間、動物たちの居場所を一人の人間が独占してもいけないと思い、そこそこに下山した。

 車を停めておいた知床峠にたどり着いた時には、既に人影は無かった。 車の窓ガラスを開けて山の新鮮な空気を吸っていると、うとうとと眠くなってきた。 3、40分も過ぎた頃だろうか、

 異様な殺気にふと目を覚ますと、そこには立ち上がった時の身長が2メートル近くもある、 巨大な雄熊がすぐ横に立ち上がって、攻撃してくるところだった。
 とっさに上半身を助手席側に倒して、第一回の攻撃から逃れたものの、 もしこの時シートベルトをしていたら、避けられずに即死していたであろう。

 そして直ぐに第二回目の攻撃を仕掛けてきた。 熊の振り下ろした手、その右手がはっきり見えた。 手はうちわの様に大きく、爪は鋭く長さは7、8センチはあっただろう。 手のひらの肉球も、はっきり見えたのを覚えている。

 振り下ろした熊の手が、バアーンと窓枠を叩く、私の右足の上、数センチのところで止まった。 早く窓ガラスを閉めなくてはと思い、スイッチを押したが、 この時のガラスの閉まるのがなんと遅く感じたことか。

 そうするうちに、第三回目の攻撃が来た。  ガアーンと上がりかけた窓ガラスを熊の手が叩くと、一瞬窓ガラスが下に押しやられる。
 再び窓ガラスが上がりだした時、熊の右手がガラスと窓枠の上に挟まった。 熊が手を抜こうとすると、ガラスが今にも割れそうになる。 車もゆらゆらと揺れる。 このままでは、窓ガラスを割られ、私の命もどうなるか分からない。

 そのとき、車のダッシュボックスにサバイバルナイフを入れていたのを思い出し、それを急いで取り出した。 ここで熊の手首を切り落とせば、私の命は助かるし、右手をプール仲間のお土産にすることも出来る。
 可愛そうだが、襲ってきたのは熊のほうだ。  熊よ許せ、心を鬼にしてサバイバルナイフを手に強く握り締め、 思いっきり熊の手首めがけて、突き刺そうとした、そのとき。

 お客さーん、朝食の準備が出来ましたよー、と言う宿のおかみさんの声が聞こえた???。 なんだー、もうちょっとのところだったのにー・・・・

 と言うわけで、熊の手のお土産は獲れなかった。 でも、努力したことは認めていただきたい。 なにせ、夢にまで見たのだから。


専門家に同行して羅臼岳登山
 世界自然遺産に登録された知床で、一番高い山が羅臼岳だ。
 高さは1661メートルだが、緯度が高いため、本土の3000メートル級の山に匹敵する高山植物などが咲き乱れる。
 また日本の名山100選にも選ばれており、登山家垂涎の山だそうだ。 山は結構険しく、登山には十分な準備と経験、それに日頃の鍛錬が必要な山だそうだ。

 夕食時、隣に座ったご夫婦の旦那さんから、明日一人で羅臼岳に登ると言う話しを聞いた。 この人は、学生時代は山岳部で鳴らし、その後もしばしば本格的な山登りをしている方で、 日本の名山100選の内、既に90選に登った経験があり、今回が91番目の山だ、とおっしゃっていた。 年は私より3歳年下であるが、さすが山の経験が豊富なだけあって、知的で若く元気そうに見える。

 私は明日の予定は無い、そこで少し無謀ではあったが、山登りに同行させて欲しいとお願いをした。 すると、色々と質問をされた。
 服装はTシャツに半ズボン、靴は一応ウォーキングシューズだと言うと、嫌そうな顔をする。  自分は自分のペースで登りたいので、もし付いて来れなくなったら、 途中でほうっておいて先に登ってもよければ、付いてきても良いと言う。
 私もいよいよ駄目なら、途中で引き返せばいいと言うくらいの軽い気持ちで、付いていくことにした。 その間、奥さんは、観光船に乗って、岬巡りをするそうだ。

 当日の朝3時半に起床、準備をして車で4時に出発した。 4時半に登山口に到着、いよいよ登り始めた。
 ベテランの登山専門家を先頭に、遅れてはまずいとぴったりとくっついて私が続く。 さすが登山専門家、最初はゆっくり歩く。その内だんだんとペースを速めるのだろう。先が少し不安だった。 ゆっくりしたペースで1時間ほど歩いたところで休憩した。
 10分ほどで再び登り始めたが、依然としてペースはゆっくりとしている。 さすが登山専門家は私たち素人とは違うものだと、感心しながら付いていった。 40分ぐらいで2回目の休憩をした。

 ここで、宿のおかみさんに作ってもらったオニギリを一口かじって、もぐもぐと食べていると、 手に持ったオニギリにハエがとまった。 休憩場所の近くにはハエが多い。山にはトイレがないので、休憩場所の周りは、 皆がうん○をするのでハエが湧くのだ。


 ハエを追い払いオニギリをさらに食べようとすると、オニギリが少し黄色く変色している。 さっきのハエが、うん○をおかずにオニギリを食べに来る、そのうん○がオニギリについたのだ。
 しかし、オニギリを捨てようと思ったが、食べ物を絶対に捨てないでくださいと立て看板に書いてある。 仕方ないから目をつぶって飲み込んだ。

 再び歩き出したとき、歩きながら考えた。 この後もオニギリを食べなくては、お腹が空いて死んでしまうかもしれない。 なんとかハエの止まらないオニギリの食べ方はないものか。その時思いついたのが、 遊園地にある観覧車の原理だ。
 観覧車は止まることなく、お客を乗り降りさせている。  オニギリも腕をぐるぐる回しながら止めることなく、一口ずつ食べればよいのだ。
 今後読者の皆さんが山に登ったとき、この食べ方を参考にしていただければ幸いです。

 しかし、一向に登る速度は速くならないと言うより、むしろ遅くなってきた。 いつになったら速度が上がるのかと思っていると、登山専門家が急にわしゃもうあかんはと言って座り込んでしまった。 あんまり私が直ぐ後ろをぴったりとくっついてくるので、ついつい自分のペースより早く登りすぎたようだ。

 私がそれでは、あなたの荷物を持ちましょうかと言うと、プライドが許さないのか、持っていらないと強がりを言う。 その後もゆっくりとしたペースで何とか頂上にたどり着いた。

          
               ♪権兵衛さんの赤ちゃんが風邪ひいた♪

 頂上で休憩をして下山することになったが、登山専門家も下りは少し元気になっていた。
 雪渓に差し掛かると、雪の上はくだりの方がよく滑るので、気をつけるようにと注意を促された。 その直後私が滑りそうになったが、水泳で鍛えた足腰と、バランス感覚で持ち直し、なんとかこけずに済んだ。

 さすが専門家は的確な状況判断のもと、的確なアドバイスをくれるものだと感心しながら歩いていると、 その専門家がスッテンコロリンと滑ってこけてしまった。
 あわてて引き起こし、雪を払って再び歩き出したとき、また専門家がスッテンコロリンとこけた。 結局ベテランの登山専門家は、4回も滑ってこけた。

 私は笑いをこらえるのが精一杯だった。 でも、この登山専門家のおかげで、有名な羅臼岳に登ることができ、感謝、感謝だ。


旭山動物園
 最終日に有名な旭川動物園に寄ることにした。 入園料は580円で安い。 確か須磨水族館は1200円ぐらいしたはずだ。
 玄関を入ると園内は非常に狭い。 何故こんな小さな動物園が、東京の多摩動物園を凌のんで、入園者数日本一なのか、じっくり見て廻ることにした。

 最初はペンギン館、ペンギンが泳いでいるのを上から人が観るのではなく、 水槽の中に作られた透明なアクリル樹脂の通路を、人間が通るようになっている。 こうする事で、ペンギンが泳ぐのを上から下から、また同じ目線で見ることが出来る。

 アザラシ館でも同じように、人間の通路の真ん中に、アザラシが通り抜けられるアクリル管を立てて、 人の横をアザラシが泳ぐように作られていた。

 要するに、同じ動物でも、見せ方一つでここまで入園者が増えるのだ。 確かに他所の動物園とは違い、ここの動物は生き生きとしていて、動物自体が綺麗に見える。

 神鉄プールのお嬢さん方も、もう少し見せ方の工夫で、土台はどうあれ、 もっと綺麗に、気品に満ちた姿を披露することが出来るのではないか。 要するに見せ方一つなのだ。

 アザラシ館ではアザラシの泳ぎをじっくりと観察した結果、その泳ぎが平泳ぎだと分かった。 足二本は、小さく開き鋭く水を蹴る。手は推進力と共に方向転換の道具として上手く使っていた。

 知床岬でイルカを観たときは、そのドルフィンキックを盗み取り、 今後のバタフライに生かすことを覚え、アザラシ館では、平泳ぎの極意を習得することが出来た。
 これでいい年をして動物園に行った行動を、理解してもらえると思う。


 つぎに、テレビでよく紹介されていたオランウータン館に行こうと思い、歩いているとき、 ふと見上げると北鈴の大将が木の上に座っている。
 なんだー、北海道に来ているのなら、一声掛けてくれれば良いのに、水臭いなーと思いながら、 この前のマスターズ水泳の結果はどうだったー、と声を掛けたが返事がなかった。  どうやら別人のようだ。確かに、大将が赤ん坊を抱いて、木の上に座っているのも考え難いことだ。

かくして権兵衛の北海道一人旅は、終了したのです。