2005年7月23日〜7月24日
厳島神社参拝 | ||
宮城県の松島、京都府の天橋立とともに日本三景の一つである広島県の宮島へ行って来た。 車組み(3人)と新幹線組み(4人)が現地で集合。私は車組みで4時ごろ到着した。新幹線組みは3時ごろに到着。 集合時間は5時半だったので、まだ時間がたっぷりある。私ら3人はノンビリと厳島神社を参拝。 この神社は推古天皇即位の593年創建、平清盛が1168年現在の姿に造営した。国宝で1996年にはユネスコの世界文化遺産に登録されている。 海水の満ち引きでイメージが変化する神秘的な社殿だ。 大鳥居は平安時代からの8代目。明治8年(1875年)に再建され国の重要文化財。 ホテルに着いたのは約束どおりの5時半。すると怒られた。新幹線組みは風呂にも入らず、我々の到着を部屋の中で おとなしく静かに待っていたという。お待たせしました今晩は。 食事・宴会開始は6時半。 風呂でも入ってのんびりしょ〜うや。 |
鹿に叱られる | ||
厳島神社の参拝前にいいお土産を見つけた。権兵衛さんが北海道で獲りそこなった鹿がここにいてる。 お肉をいただくには物凄く気が引ける。せめて角だけでもと思い近寄った。おとなしく逃げない。 まずは頭をなでたり顔をさすったり。噛まれたらイヤなので口も握ったりしていたらなつき出す。 それでは、と、角を握ったらイヤイヤと首を振る。ふと後ろを見ると看板が立ててある。 私は鹿にもしかられた。そう硬くなくやや油気の感触がハンドルを握るまで残っていた。 |
宴会 |
チョコッとだけメンバーを紹介しよう。詳しくすると私の品位ががた落ちになってしまうからだ。 左の男は私の2倍ほどの体格。気は優しくて力持ち、 膨大な近畿の山林を保有し森林ボランティアにも参加。それに老人ホームの運営もしている。 次は私。画像が変わっての二人とは昨年山陰の海を探索した。 左の男は茶器屋さんでは日本有数の旦那。何が趣味なのか全くわからない。 毎日毎晩あちこちに出向き美味いモンを探し歩いているらしい。ポコットでたお腹が物語っている。 真ん中の男は某企業の社長さんで今回の幹事。日頃女性には縁が無く嬉しそうに笑っておる。 彼は学生時代、合気道の選手だった。彼はその仲間に電話をかける。「おれや。覚えとるか?」 電話の向こうでは「覚えとらん」。卒業して35年経つ。しかし俺を覚えとらんとはけしからん。 そこで来年の会場が急きょ決定。四国の高松に乗り込んだる。 右の男は母校の卒業生ではない。しかし参加して3回目。何故だか説明しよう。ちょうど2年前のことだ。 その時の幹事で佐野川谷氏が参加直前に急死した。 ヨット仲間で無人島に上陸し坂道を登っているとパタッと倒れ息を吹き返さなかった。残念でしょうがない。 その場に居合わせた彼は佐野川谷氏の魂とともに参加くださっている。 宴もたけなわ。若い女性からは全く相手にされない彼は調子に乗って注がれるビールをゴクゴク。 ちょうど38杯目だった。突然ひっくり返る。心肺停止状態の急性アルコール中毒。 ココで死なれては困ると思ったのか、救命処置をしたことも無いコンパニオンの女性が胸を押しまくる。 38回目の胸部圧迫していたその時、飲み干していたビールをゲボゲボと吐き出した。 女性の服はグチャグチャになってしまう。カンカンに怒って女性は退却してしまった。 彼は何事も無かったようにまた飲みだす。どうしようもないやつだが 仲良く神戸まで一緒に車で帰ってきた。 |
平和の祈り | ||
初参加の男はココの近くに住んでいる。 彼を参加させようと忍会会場が広島に決定されたのだった。 宮島を後にした我々は彼の車で平和公園に案内される。 全快を祈って「千羽鶴」を折りつづけていた少女が原爆投下後10年で亡くなった。その死をきっかけに 2年後の1956年子供の日に「原爆の子」の像が完成。世界平和を願い梵鐘を響かせてきた。 昼食はお好み焼き(広島焼きスペシャル)。このあたりの店では客が自分で焼くという。しかし写真を見てもお分かりの通り 焼けるはずが無いオッサンばかり。そこで、焼いてから持ってきてくれるよう頼み込んだ。 食欲は極めて旺盛、1時間半も食べ続け満腹になり午後3時に解散した。 |